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【正倉院 聞き耳頭巾(ききみみ ずきん)】#10 紙切れと献物帳
正倉院展では毎年のように聖武天皇遺愛の鏡が出陳されている。その鏡に古代の紙箋が伴っていることをご存じだろうか。北倉の鏡18面のうち8面に付属して伝わっている。いずれも幅2.5cm、長さ30cm弱の古びた紙切れであるが、これらもまた立派な宝物であり、広い意味では文書である。正倉院文書の大半を占める写経所の帳簿とは由来も性格も異なるが、今回はこの紙箋から何がわかるのか、少し探ってみたい。

鏡〈北倉42〉付属の紙箋
右から第2号、第3号、第4号

国家珍宝帳〈北倉158〉
「御鏡貳拾面」から4行目の記載が第4号にあたる
まず書かれた内容をみよう。第4号の紙箋を例にとると「八角鏡一面重大十四斤十五両〈径一尺四寸七分 謾背/緋絁帯 八角榲柙盛〉」とある。鏡の形状や重さ(約10kg)、直径(43.65cm)、装飾の有無(「謾背(まんぱい)」は文様なしの意)、さらに帯や箱(「榲柙(すぎばこ)」は杉製の箱の意)についての記述である。これらは現状の計測値(重さ9736g、直径43.7cm)や付属品と大きな矛盾はなく、宝物の情報を書き記したものとわかる。重要なのは、これと同じ内容が『国家珍宝帳』(東大寺献物帳)にも記載されていることである。献物帳の後半、鏡の部分に記された内容は、用いる文字に若干の違いはあるものの、全くの同文である。紙箋と献物帳は同じ草案から書かれていると言える。次にその形状に注目すると、紙箋はどれも下方の10cmほどを切って二股にしている。これは何かに結びつけるためで、紙箋のなかには現に鏡の帯紐(おびひも)に結ばれて伝わるものがあることから、いずれも帯紐にくくられていたと見当がつく。紙箋はいわば、鏡の識別のために付されたタグであった。
このように紙箋と献物帳は同内容を紙に書き記して、一方は裁断して現物に付し、もう一方は全面に天皇御璽(ぎょじ)を捺(お)して献納の目録としたわけであるが、そこに明確な使い分けの意識があったことも見て取れる。紙箋の方は献物帳の行間よりも幅が広く、文字を紙の上方に寄せて下方を大きく空けている。献物帳ほど上質な紙でもない。現物にくくる役割を想定してのことであろう。一方の献物帳は、草案をもとに極上の紙に丁寧に浄書しているが、正倉院事務所調査室長であった関根真隆氏がかつて指摘したように、最初紙箋と同じ文字を書くものの、擦り消して訂正している部分がある(謾→漫、柙→匣)。当時は聖武天皇の四十九日に合わせて献納を行うべく、急ピッチで作業が進められていたに違いない。草案や紙箋の段階では文字が詰め切れておらず、清書する段階でチェックが入り、修正を施したらしい。紙箋はこうした献納準備の裏側をうかがわせるものとしても誠に貴重である。

擦り消し訂正部分
それではこうした付箋は、すべての献納宝物に作られたのだろうか。現在、鏡にのみ紙箋が残るのは偶然なのか。容器の有無など要因はさまざまで、はっきりしたことは言えないが、紙箋を宝物に直にくくりつけて識別する必要があったのは、鏡のように似たような見た目や名称のものがいくつも存在する場合であったと思う。献物帳を見渡すと、鏡のほかに武器類(大刀や弓矢)あたりが候補にあがるが、それらは藤原仲麻呂の乱に際して出蔵されて大半が戻らず、今は確かめるすべを失っている。
(宮内庁正倉院事務所 佐々田悠)